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平成二十二年総務委員会速記録第八号|東京都議会(宮台真司)(3/6)

〇吉原委員 きょうはお忙しいところ公聴会にお越しをいただきまして、ありがとうございました。

 今、さまざまな専門的なお話も加えて、大変、私自身も勉強になったなというような思いをしております。それは、先ほどお医者さんである赤枝先生のお話もるるございましたが、評価をするその観点、今の社会情勢も見ながらその上での見る観点も、その方々によって大きく違ってくるなということを、今つくづく感じたわけであります。

 そんな中で、単純に、大変恐縮でございますけれども、我々はとにかく子どもを守っていかなければならない。それが健全な子どもを育てていくことの大人の役割だと、こういうふうに単純に思っているわけでございますし、それは事実だろうと、当然のことだろうというふうに思っているわけであります。

 そういう現状に対して、先生も、今、子どもたちがどういう状況になっているのか、どういう状況に置かれているのかということは十分ご案内だというような思いでお尋ねをしたいと思いますけれども、今の現状を何とかしなきゃならないなという思いが、私は、我々と変わらないなというふうに思っているわけでありますが、その点について簡単にちょっと教えてください。

〇宮台参考人 吉原委員、ありがとうございます。

 まず、現状をどう理解するのか。観点はそんなにたくさんはないんですね。

 まず、性犯罪はどんどん減っています。凶悪犯罪もどんどん減っています。凶悪犯罪というのは強盗、強姦、放火、殺人ですけれども、どんどん減っています。これは統計データがはっきりさせているところです。強制わいせつについてだけ、二〇〇〇年代半ばから、特に痴漢の取り締まり等が厳密化されたことによってカテゴリーが変わりましたから、警察統計上は変わりました。しかし性犯罪はどんどん減っています。

 なので、そこに強いて問題を発見する必要はない。あるいは殊さらに新しい問題が出てきたというふうに私は認識しておりません。むしろ問題は、子どもたち、青少年の、わかりやすくいえば生きる力がどんどんなくなってきていること。それは、例えば一つ、判断能力であるし、交渉能力であるし、危機回避能力、こうしたものがどんどん減ってきているというふうに思います。

 例えば典型的には、子どもがいわゆるエロ本やエロビデオを持っていたときの親の対処の能力。というか、それ以前に、例えばわかりやすい例、昔、近隣騒音があれば、ちょっとこういう事情で迷惑なのでやめてくださいというふうにいったはずが、最近になればなるほど、いきなり警察あるいは公権力の呼び出し線を使うようになっています。それとよく似ているんですね。

 子どもがエロ本を読んでいた。だったら、親が子どもにコミュニケーションして、これについてどう思っているんだ、ここにはレイプが描かれているぞ、このレイプはどうなんだ。子どもの判断を聞くべきなんですね。父ちゃん、これさあ、レイプが描かれているけれども、レイプを通じて、傷ついた女の子がどうやって回復するのかということが描かれているんだよ、だからこれはすごい学びになるんだというふうに子どもがいう。お父さんが、ううん、それにしてはちょっとえぐいと思うけれども、おまえがそういうならいいのかもしれないな、というようなコミュニケーションをすべきなんですよ。

 それが、子どもがレイプが描かれた漫画を読んでいる、行政の呼び出し線を使う。おかしくありませんか。つまり問題は、我々が何かというと行政の呼び出し線を使うようになってしまい、そのことのおかしさに気づいていない。親子のきずな、親子のコミュニケーション能力、親子の共同性、親子で問題を解決する力、それがどんどん減ってきているということが、現象的にはいろんな問題を生み出しているというふうに考えます。

〇吉原委員 確かにおっしゃられるとおり、そうだと思います。

 しかしながら、現在の社会では共稼ぎのご家庭もかなり多くなっているわけでございまして、先ほど赤枝先生からもご指摘がありました。とにかく親子の会話を多くしなければだめだと、こういうお話もあった。もうそのとおりではありますけれども、そういった意味では、当然のことながら家庭教育というのは大切でありますけれども、家庭教育にも限界というものもあるわけでございまして、そういったものを今後どういう形でやっていくのかなと。

 先ほども、再度そういうお話をして恐縮でございますけれども、赤枝先生の場合はお医者さんでございますので、日々、六本木という場所、土地柄も含めていろんな子どもたちを見ておられるようであります。小学生の低学年から高校生も含めて、高校生を卒業した方々も、いろいろ相談に来たりお会いをする機会が多分にあるようであります。

 そういったことをいろいろ、日々の経験の中では何とか子どもを助けたい、こういう思いがお強いようであります。それは、医学的にも感情的にも精神的にも肉体的にも全部のことをいわれているんだと思いますけれども、しかしながら、本来は教育でそういうものもしっかりと、家庭の教育、社会の教育の中で育てるべきだと、こういわれていたわけであります。

 しかしながら、今、教育を通じてということは、もう二十年も二十五年も前からやってきたんだと。だけれども、そのことがいまだに、しっかりとした性教育も含めてなかなか今日に至っていないんだと、こういうお話であったような気がいたしました。これはちょっといい方、いい回しが違うかもしれませんけれども、そういうニュアンスだったように私は理解をしているわけでございます。そういった意味では、的確な規制が今すぐにどうしても必要だといわれていたわけでありますけれども、その点についてはいかがでしょうか。

〇宮台参考人 先ほどの繰り返しになりますが、まず社会が、プライマリーな、つまり第一のプレーヤー、当事者です。そして行政は、セカンダリーな、つまり第二の当事者なんです。社会からの要求があった場合にこたえるのが行政の責務ですから、社会が、さっきの雨漏りバケツでいえばバケツ、つまり緊急避難を要求しているのであれば、それにこたえるのが行政の責務である。これはもとより明らかです。

 しかし、例えば社会が当事者としての能力をなぜ発揮できないのかということについての分析、情報の開示、そうしたものを、行政はしているでしょうか。ヨーロッパの、特にEU諸国の年間就業時間は千四百時間台です。イギリスだけが例外で千七百時間台ですね。アメリカも大体同じような感じ。日本は残業を除いて千九百時間台ですが、残業を含めると二千ないし二千百時間台です。通勤時間を含めると、一日三時間以上多く仕事に時間をとられています。

 この状態を放置して、社会で、あるいは親と子どもの協力によって問題を解決していこうなんていっても、それは空念仏ですよ。つまり、その問題に実は絡むのがワークライフバランスということで、日本では、なぜか私生活、趣味の時間をふやすことだというふうに誤解する向きが多いんですけれども、そういう意味ではない。社会のことを社会が解決する。屋根が破れていたら自分で屋根をふき直す力、これを社会が回復する。これが本義です。

 したがって、何事もそうです。社会はいいとこ取りができないんですね。総合的な政策によって社会の分厚さを深めていくと。もしセカンダリーな、つまり緊急避難的な必要から行政が介入的にかかわる場合も、それがあくまで二義的なものであり、したがって抑制的でなければならず、本来の姿を社会に取り戻すためのメッセージなるものが、本当はこういう条例だったら、なければならない。そういうふうに私は考えます。

〇吉原委員 ありがとうございました。

 それでは、きょうの資料をいただいておりますけれども、その五ページのところでも、ちょっと記入いただいておりますけども、設定に関係なく子どもに見えることを取り締まれば日本的表現への死の宣告、こういうことを書かれているわけであります。

 条文上も、都の説明でも、十八歳未満である旨の客観的な表示があるものを対象にする、こういうことになっているわけでございまして、そういった意味でいえば、成人でも子どもに見えればだめだよ、こういうことは書いていないように思っているわけですが、その点についてはいかがでしょうか。

〇宮台参考人 先ほど申しましたように、都の質問回答集は基本的に司法の条例解釈を全く拘束しません。もちろん、法廷におきまして、例えば審議過程を知っている役人さんや議員さんが法廷に呼ばれて証人として発言したことが、裁判官の心証を左右することはもちろんあり得ます。しかし、これは一時的なことです。代がわりが進み時間がたてば、どのみちそういうプロセスはあり得なくなってしまいます。

 先ほど申しましたように、憲法は立法意思がすべて、法律は条文がすべてです。条文に何を書いてあるかということが実はとても大事で、条文に書いてあることは、もう一度申しますと、視覚により認識することができる方法でみだりに性的対象として肯定的に描写したもの、これであります。何が入る、何が入らないという明確な規定はありません。
 以上です。

〇吉原委員 もう時間も終わっていると思いますけれども、一点だけ、早口でお尋ねをさせていただきたいと思います。

 先ほどのように、きょうの意見書、資料の中にも入れていただいてあると思いますけれども、メディアにおける性描写が与える影響に関する強力効果説、そして限定効果説について述べられているわけでありますが、その影響の強さや条件についてはともかくとして、いずれにいたしましても全く影響がないというふうには書かれていないように思っているわけでありますけれども、影響があるのかないのか、時間もあれですが、一言でお話しいただくとすればどちらになるのかお尋ねをして、質問を終わります。

〇宮台参考人 一般に表現物は、享受者に影響を与えるのが当たり前です。影響を与えるためにかかれているんですから。しかしそれが悪影響であるかどうかが問題で、一般に、犯罪者としての資質を育てるかどうかということについては、無条件でそういうことは起こらないということが証明されています。犯罪者の資質を持った人間にきっかけを与えることがある。これも統計的には証明されています。

 犯罪者としての資質の醸成は、メディアを含めた、基本的には受容環境、あるいは受容環境を含めた人間関係の全体なんですね。それが資質を構成する。逆にいえば、子どもが、孤独に長時間、ゲーム、アニメ、あるいはその他のコンテンツに長い間接触するように放置されている場合には、メディアのコンテンツも、放置されているということがもたらす孤独の感情、あるいは放置されている間に、放置されていない人間なら人間関係から学ぶことができるきずな、そのほか。これが存在しないということによって資質が構成される。これがジョセフ・クラッパーの議論です。

 僕はこの議論、適切ではないかと思います。メディアが悪人、それはあり得ない。メディアを放置する社会、人間関係、これは問題です。その場合の社会、人間関係は、行政のことではありません。

 以上です。

http://www.gikai.metro.tokyo.jp/record/soumu/d3010198.html

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