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[メモ] ポルノグラフィに対する言語行為論アプローチ

4.2 ポルノグラフィは女性を従属させる発話内行為である

(略)

しかしラングトンによれば、ポルノグラフィは発話媒介行為としてだけではなく、発話内行為として、それ自体が女性を従属させるものなのである。ラングトンはマッキノンの文章を引用し、それらが「発話内行為」を表現する動詞を豊富に含んでいることを指摘する。

ポルノグラフィはレイプ、肉体的暴力、セクシュアルハラスメント、児童虐待をセクシュアルなものにする・・・ポルノグラフィはそれらを祝福・促進・許可・合法化する(it celebrates, promotes, authorizes and legitimates them)。(Langton, 1993, p. 307、強調はラングトンのもの。)

もちろん、女性に対する暴力を「祝福・促進・許可・合法化する」ことが、女性に対する直接の「危害」であるかどうかは議論の余地があるかもしれないことはラングトンも認めている。しかしラングトンのポイントは、ポルノグラフィ的表現それ自体が行為であるという点にある。

(略)

5.2 ポルノグラフィはどのような意味で権威か?

(略)

しかし、ラングトンがマッキンノンから引き継いでいる中心的な主張は、ポルノグラフィ的表現そのものが女性を男性に従属させる発話内行為でありえるというものだろう。この主張は説得的だろうか。たしかに、もしラングトンのように言えるとすれば、それはちょうど「私は約束します」という発話が、(条件が整っていれば)概念的に約束するという行為となるように、この場合にポルノグラフィが実際に女性の従属を引き起こしているということになり、経験的な因果関係の証明は不必要ということになる。

オースティンによる発話内行為の分析では、発話内行為が適切であるためには、制度と権威が必要である。たとえば、裁判官でない者が「?という判決を下す」と発言しても判決を下したことにはならない。それでは、ポルノグラフィ的表現が女性を従属させるという発話内行為的力を持つことはありえるだろうか。もしそういうことがありうるとすれば、それは、女性を男性に従属させるような仕方で描写するポルノがそれに対応する一定の制度的な権威を持っている場合ということになる。では、ポルノグラフィは権威や制度を構成しているのだろうか。権威であるとすればそれはどのような権威だであり、制度であればそれはどのような制度だろうか。

まず、個々のポルノ制作者がそのようななんらかの法的あるいは制度的な権威を持っているということは考えにくい。個々のポルノ制作者は単なる作品の作者にすぎず、「よいポルノグラフィ」であるかどうかは別の基準によると考えられる。

また、たしかにポルノグラフィは多種多様な性を描いており、一部のポルノはたしかに強制的な性行為を描いている。しかし、そのような強制的性行為が人々にとって実際に権威となっているかは疑問の余地がある。強制的な性行為が制度となっているということも考えにくい。

http://melisande.cs.kyoto-wu.ac.jp/eguchi/papers/speech-act-and-pornography.pdf

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