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(メモ)「国家からの自由」の想定する「国家」(榎透)

しかし,連邦最高裁はその判決の中で,なぜ国家の中立性が必要とされるのか,なぜ憲法は国家のみを制限すべきであるのかという問題について,国家の側面からは十分な説明をしない。この問題については,ステイト・アクション法理を論ずる学説が次のように説明する。

第1の理由は,政府(government)が莫大な権力を持ち,強大な人権侵害をしうる存在だからである。政府による人権侵害と私的権力による人権侵害との間には質的な差異がある。つまり,政府は,立法権,司法権,執行権といった広範かつ極度に強大な制度上の力を持ち21),私的権力に比べてマイノリティの権利やプライバシーのような「非常に多様な憲法的価値を強大にそして潜在的に破壊する」存在である。しかも,政府の莫大な権力が常に人びとに対して適切な形で行使されることなど,どこにも保障されていない。したがって,憲法は,憲法的価値の破壊を避けるために,政府の強大さに縛りをかける規範として存在する22)。

第2の理由は,政府は「模範としての政府(Government as Exemplar)」という役割を担うからである。この役割の点で,政府と私的権力との間には質的な違いがある。政府の持つ特殊な性格により,政府が提示・許容する価値は類のないほど強化される。それゆえ人びとは自分の立場が政府により承認されると,自己の人種的あるいは性的な見解の正当性について疑問に思わない傾向があると考えられる。政府の偏見が人びとに与える強大な影響は,いかなる種類の私的行為も匹敵しえない。それゆえ,「模範としての政府」という考え方が登場し,この考え方が憲法に規定される人権の対公権力性を正当化する23)。

以上から,「国家からの自由」の想定する「国家」とは,広範かつ強大な権力を持ち,私的権力に比べて「非常に多様な憲法的価値を強大にそして潜在的に破壊する」存在である。またそれは,人びとに対して甚大な影響力を与えうる存在であり,その影響力はいかなる私的権力の比でもない。そのため,国家にひとたび不当な権力行使をされた者は致命的な害を被る。国家はその性格のゆえに,憲法によって規制されるべき存在となったのである。

http://www.senshu-u.ac.jp/School/horitu/publication/hogakuronshu/100/enoki.pdf

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