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「性的対象化」(sexual objectification)と「暴力」(violence)

女の物体化なしにセックスは存在し得るのだろうか。また、感覚でとらえられるリアリティであるのみならず、現実のリアリティでもある女の物体化は、それを維持しようとする女自身の協力なしに存在し得るのだろうか。女自身が自分を物に変える??男を人間以上の、堅固で絶対的な国王に仕立てるために、女自身が努力を払い、技を尽くして、自ら人間以下のものになる??ことなしに、女の物体化が起こり得るのだろうか。これらの問いに答えるとすれば、女自身が自分を物に変えることなしには、セックスは存在し得ない。しかし、女に対する男の支配という現行の性制度に付随した、男が支払わねばならぬ代価は、男は平等な相手の前では不能になるということであり、男は平等な相手とは性交できないが、男は性交をしなければならないのだから、女は、自分自身を物に変えなければならないのである。

アンドレア・ドウォーキン(1989)「インターコース 性的行為の政治学」p242

つまりマッキノンによれば、セックスの一部に性的虐待が重なるのでもなく、また、強姦は暴力であってセックスではないという意見でもなく、セックスとは女にとって強姦そのものであり、性的虐待以外の何ものでもない。したがって、性的侵害そのものであるセックスに着目し、そのセックスを変えることが平等を実現するための最重要課題となる。先ほどの誤訳によって、「暴力は認められないがセックス自体は善である」という考え方を前提にしているかぎり、次に述べる「性」の平等を追求するマッキノンの真意は伝わらない。

南茂由利子「セクシュアリティ中心主義への問い―キャサリン・A・マッキノン理論の検討―」
http://www.nwec.jp/jp/data/journal809.pdf

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