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(メモ) 私はこの法律(治安維持法)に絶対反対である。 (徳川義親)


戦前の日本では何より治安維持法が記憶されるべきでしょう。同時に、その立法にあたってたとえばつぎのような指摘があったことを、その説き手の社会的地位とあわせて思い出すことは、テロに対する「安全」を求めることが自由と、ひいては権力からの安全をも危うくするという二一世紀の難題に照らしても、大切なことではないでしょうか。

「・・私は決して共産主義でもなく、決して無政府主義者でもございませぬが、尚ほ此法案を惧れるのでございます。特権階級中の特権階級である我々が、本案ににわかに賛成いたさない意思を表明いたしまするのは、余程勇気を要する次第でございます、併し敢てここに私がそれを致しまするのは、或は此事が杞憂かも知れぬ、また杞憂であれば誠に幸と存じますが、本法実施の暁に於きまして、治安維持の目的が、却て反対の結果に陥りはしないだらうかと云ふことを、私は惧れるのでございます、・・之を立案いたしました方、立法者に於きましては成程、明瞭で以て何等の疑を挟む所はございますまいが、之を実際に用いますのは立法者ではございませぬで、又必ずしも立法者と同じ心を持って居る者ではないのでございます、実際、此法を用います者は裁判官でも至って少いのでありまして、多くは警察官でございます、必ずしも之を誤って用いることなしとせないでございます、外の法律と違ひまして、峻厳極まりないものでございまするが故に、一たび誤って用いました結果は誠に恐ろしいものでございます・・」(1925年3月19日、貴族院、徳川義親侯爵)

樋口陽一(2006)「日本国憲法」まっとうに議論するために(みすず書房)

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(メモ)前田雅英「日本の治安は再生できるか」(ちくま新書)


・戦後制定された日本国憲法の価値判断がしだいに定着し、さらにその後の欧米の影響も加わりつつ、戦前からの「規範」を否定し、自由主義的価値観が最も強調された時期であったと言ってもよい。その象徴が大学紛争であったとも言えよう。(p111)

・ほとんどの者が進学するようになった高校においても「学園紛争」の嵐が吹き荒れ、教師の権威が弱まり、さらには親も権威を喪失していく。青少年期の権威への反抗の象徴としての学園紛争は、戦後前半の少年犯罪の特徴とも相応している。既存の規範(既成権力)への反発が学生運動であり、既存の規範の否定が少年犯罪だったのである。(p136)

・現在の少年非行の深刻化の中核部分は、大局的に見れば、戦後世代が安直な自由のみを追求し、それまで存在してきた規範を弱体化させてきたこと、そしてそれが拡大再生産された結果なのである。(p112)

・カメラも、コストはかかるが、警察官の増員の費用に比べればかなり安くて済む。ただ、最も大きなコストは、プライバシーの侵害の可能性である。商店街等の民間人が、自ら設置するカメラも増えている。そこでは、よりいっそうのデータの濫用の危険をはらむ。しかし、安心で安全な街を作るためには、そのような犠牲は、合理的な範囲内であるならば甘受せざるをえない。そう考える国民が増えてきているのである。(p198)

[メモ] 国連の権威を疑え! (海渡雄一弁護士)


7 国際機関の権威による治安立法の押しつけ

  そして、国際機関の権威をもとに、各国の立法機関による変更を許さないような形で、治安的立法が民主的な討論が欠けた状態で各国の立法機関に押しつけられているといえる。そして、国内的に活動している人権団体も、各国の立法機関も条約が起草されてしまった後には、条約の内容を是正する手段を持っていないのである。各国の国民に与えられた選 択の余地は、条約を批准するかどうか、批准するとした場合、条約上許容された裁量の幅のなかでよりよい選択(一部留保を含む)をする以外に方法がない。

  これが、まさに、いま、我が国の国会で共謀罪をめぐる与党案と野党案のせめぎ合いで起きている事態の本質なのである。

  国際組織犯罪防止条約やサイバー犯罪条約は、この間の政府与党のキャンペーンを見ても明らかなように、抗いがたい国際的な流れとして、国内に持ち込まれている。しかし、この国際的なトレンドの正体を正確に見据えて、その立案の過程にさかのぼって、その政治的な性格を明らかにし、この権威を疑ってみる態度が求められているのである。

8 国際人権法の原則にも違反

  これらの国連条約やFATF勧告はこれまで国際的に確立してきた民主主義的な法制度や価値の原則のいくつかに真っ向から対立する部分を持っている。個人のプライバシー権、刑事司法における無罪推定の原則、集会・結社・表現の自由の保障、弁護権、拘禁された者の裁判所に出頭する権利、公正な裁判を受ける権利などがそれである。

9 結論

  最近の刑事立法は国連やヨーロッパ評議会、OECDなどの国際機関からの要請、テロ対策、組織犯罪対策という反対しにくい外形を備えているが、それにだまされてはいけない。最近の刑事実体法は犯罪の成立を前倒しにし、また厳罰化を進める傾向が顕著である。これは、政府の政策に反対すること、とりわけ政府の戦争政策に反対することなどを非合法化する意図に発しているものと考えざるを得ない。また、最近の刑事手続法は、テクノロジーの進歩などを理由として、簡単な手続きで莫大な情報を収集できる方向を目指している。このようにして収集された情報がIT技術を駆使してデータベース化されれば、究極の監視社会が出現するであろう。

http://www.azusawa.jp/break/toukou/kaido-060516.html

(メモ)「相互監視社会」の到来が生み出す恐怖 (宮台真司)

■こうした傾向を後押ししたのがマスコミ だ。かつては「テロ」などと呼ばなかった対象まで、〈国家〉の役人が言うがままに、何もかも「テロ」だと称するようになった。何もかも「テロ」だと称することは、〈社会〉のほうが〈国家〉よりも恐いという印象を強める機能を果たす。時代の流れを呼んで役人どもはワザとそうしている。

■かつてハイジャックはテロと呼ばれなかった。「海外旅行するときはテロやハイジャックには気を付けて下さい」という具合に、テロとハイジャックは別カテゴリーとして並列された。79年のダッカ空港事件も「テロリストがハイジャックをした」というふうに報道された。今ではハイジャック自体がテロだと呼ばれてしまう。

■テロリズムやテロリストの「テロ」は「恐怖」を語源とする。この言葉は、クーデターと並んで何やら「国家転覆」の匂いがする。「犯罪」と呼ばず「テロ」と呼ぶことで、「〈社会〉が〈国家〉を脅かしている」「〈社会〉のほうが〈国家〉よりも恐い」といった印象が強められる。マスコミがこうした流れに加担している。

■宮崎学氏も指摘しているが、青少年を含め強姦や殺人などの凶悪犯罪は、戦後から一九六〇年代前半にかけての二つのピーク時から見ても大幅に減った。ヤクザの抗争事件も明白な減少傾向だ。だが、ひとたび“凶悪事件”が起こるとマスコミが大騒ぎするから、何となく「〈社会〉は犯罪が増加している」という不安を抱かされる。

■これは九・一一以降に顕著になった「空気を利用した〈国家〉支配」に通じる。〈社会〉に対する漠然とした不安が醸成されていく。不安が昂進するにつれて〈社会〉は自らが解決できないと思い込み、〈国家〉が何とかすべきだとの意識になる。〈国家〉がそれを百も承知で、マスコミを使って〈社会〉に対する不安を煽る。

http://www.miyadai.com/index.php?itemid=126

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